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『魂の紀行』 別章 キョウヨアケタゼヨー4

 
< 宗教巡りをした中学生時代 >
 

私の中学時代は、
ちょっと(かなり?)変わっていたようです。
 

幼少の頃から続く
不可思議な体験の意味が
(「不可思議な体験」は → 前回ブログ
どうしても知りたくて、

関連した本
(今でいうスピリチュアル本)
を読みながら、
様々な宗教を訪ね歩く日々。
 

友達と遊ぶことよりも、
そちらに向けるウェイトの方が
高いわけですから、
やっぱりかなり変わってますよね・・・。
 
 

いくつかの宗教で
目に見えない世界のことを
学ばせていただいたおかげで、

それまで起こっていた
不可思議なことの意味が
少しずつわかってきました。
 
 

 ・人間は、こころとからだと魂から成る存在である。

 ・魂だけになった存在は、
  現世の人間にコンタクトをとってくることがある。

 ・それは「波長」が近いものほど感応しやすく、
  メッセージ性を伴う場合もある。

 ・メッセージは、時として
  現世の人間にとって不可思議な現象として捉えられる。
 

 さらに、
 

 ・魂は何度も生まれ変わり、
  その過去のすべてを記憶している。

 ・しかし、現世に生まれた時点で
  その記憶は一時的に忘れてしまう。

 ・それは、現世で起きる出来事を、
  からだとこころという「地球服」を通して満喫するため。

 ・現世での体験はすべて、
  自らの魂が計画した
  「プログラム(=シナリオ)」がベースになっている。

・人との出会いやタイミングも、
  事前に相手の魂と決めていることである。
 

などなど・・・。
 
 

いくつかの宗教をまわって感じたのは、
それぞれ表現の違いはあっても、
けっきょくはどこも同じ真理に
辿り着くのではないだろうか、ということでした。
 

よく言われる例えは、
目隠しをした人たちが
象を触った時の感想を述べ合っている様子。
 

足を触った人は
「両手をまわして、
 やっと届くほどの太さ」と言い、

耳を触った人は
「薄っぺらな座布団みたい」と言い、

鼻を触った人は
「とんでもなく細長い」と言い・・・。
 

でも、けっきょくは
皆、象のことを言っているわけですよね。
 
 

また、山頂まで辿り着くための道は何通りもある、
という言い方もします。
 

近道もあれば、
景色を楽しみながらの遠回りもある。

自転車や車で行くことも出来るし、
飛行機が飛んでいるかもしれない。

でも、けっきょく
ゴールは同じ山の頂・・・。
 
 

象を触る時は、
目隠しを外してみると
全体のどこを触っているかが見えるし、

ゴールは
山の頂であることが理解できれば、
そこを目指すためのルートや手段は
複数あって当たりまえ、
ということになるでしょう。
 
 

当時訪問した宗教は、
どこの教えも本当に素晴らしく、
納得できるものばかりでしたが、

けっきょくどこかへ
傾倒するまでに至らなかったのは

「ゴールは同じ」

という氣づきが
大きな理由だったように思います。
 
 
 

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