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『魂の紀行』 別章 キョウヨアケタゼヨ-13

 
< ヒーリングから離れた20年間 その2 >
 

I先生の密葬からの帰路、

佐賀空港までのバスの中、
東京までの飛行機の中、
そして羽田空港での夕食と、

ほんの数時間の間にすっかり
打ち解けてしまった私たちは、

3月に東京でおこなわれる
I先生の社葬での再会を
約束して別れました。
 
 

そして迎えた3月。
 
 

社葬の席で、Y先生から
思わぬ提案を受けます。
 
 

「よかったら、
 7月にオープンする
 ウチのクリニックに来ない?

 住むところも
 用意しておくから!」
 
 

ここで流れに逆らわないのが、
私のポリシー。
 
 

「はい、私でよければ喜んで!」
 
 

こうして平成5年7月から
東京高田馬場のYクリニックで、

事務職兼腰痛専門の整体師
として勤務することになりました。
 
 

思えば、
幼少の頃から抱いていた
「医者」
という夢のきっかけは、
ひいばあちゃんの腰痛。
 

ご縁というのは、
本当に面白いものです。
 
 

東京での日々は、
本当にあっという間でした。
 
 

整体師と事務職を
兼業しながら、
合気道や呼吸法の道場に通う毎日。
 
 

Y先生と先輩の整体師さんが
教えてくれる
「からだの仕組み」や
道場で学ぶ「氣の概念」は、

ヒーリングで
心身が癒されていく
仕組みを知りたい、
という想いを
徐々に満たしてくれました。
 
 

「このままずっと
 ウチで働いてくれたらいいのに。

 夜間でよければ
 大学にも通えるし」
 
 

Y先生からのありがたい言葉。
 
 

いつものように、
流れのまま受け入れたい
氣持ちは山々です。
 
 

しかし、
22歳になった私は、正直、
これからの進路について
決めかねていました。
 
 

北海道の実家が営む
家業を継いでほしい、と、
もうずっと言われ続けていたのです。
 
 

「このまま東京で
 勉強を続けていたいけど・・・」
 
 

魂の声に耳を澄ませた結果、
お世話になったY先生のもとを
翌春で退社することに決めました。
 
 

スタッフの方々とも
仲が良かった分、
名残惜しい想いが募ります。
 
 

平成6年春。
 
 

北海道に戻った私を
待っていたのは、
なんと銀行員生活でした・・・。

 
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Y先生のもとで整体師をしていた頃。
 

 
 
 

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