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第5章 出羽三山での御神事-2

 
2014年9月8日。

山形庄内空港からレンタカーで向かった先は、
蜂子皇子がいちばん初めに辿り着いたという由良海岸。

 
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「由良」という名前は、日本三景の天橋立がある
京都府宮津市の「由良」が由来と云われています。
 

蜂子皇子の生誕は、今から1400年ほど前。

崇峻天皇の皇子として、奈良で生まれ、
本来なら、継承者の地位にあるはずでしたが、
蘇我氏と物部氏の2大豪族が対立したことで状況は一変。

父の崇峻天皇が蘇我氏によって暗殺され、
その追っ手は、皇子にも迫ってきます。

「全国をまわったときに、
 地面から観音様がわき出た霊山が
 出羽の地にあります。
 そこへ向かってはどうでしょう?」

従兄弟(いとこ)の聖徳太子に、
奈良から避難することを勧められた皇子は、
厳しい冬の寒さの中、
丹後の由良から出羽の地へ向けて旅立ちます。

そして、越前(福井県)、越後(新潟県)、
佐渡ヶ島を経て、辿り着いたのが、この由良海岸。

「由良」という名前は、
こうして、かつて西から移り住んで来た人たちが、
故郷を懐かしんでつけた名前なのかもしれませんね。
 

この地でのお祈りで感じたのは、
今回の旅にあたっての
蜂子皇子による「お導き」の強さ。

いつものように
さまざまなマークがあらわれては消えていきましたが、
蜂子皇子のエネルギーだけは
終始ご一緒いただいているようでした。

どうやら、健康食品(蜂っ子)の名前が似ている、
というだけのご縁ではなさそうです(笑)
 

導かれるまま、次に向かった先は「高寺山照光寺」。

皇子が酒田の海に浮かんでいた
「光る桑の大木」からつくったという
千手観音、十一面観音、軍荼利明王の三尊を祀る古刹です。

 
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皇子自らが彫ったとされる「蜂子皇子像」の前で
しばしエネルギーの交流。

今生でもこうしてご縁をいただけたことに、
あらためて感謝の氣持ちが湧いてきます。

 
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ビジョンの中にあらわれたのは、五芒星(☆)。

そして、ゆっくりと六芒星へ変わり、
スーッと消えていきました。
 

神仏習合の宗教集落として栄えたこの地域。

その中心である高寺山照光寺であらわれた2つのマークは、
一連の「祈りの旅」のテーマである「融合・統合・調和」を
「陰陽の和合」というサインで示してくれたのだと思います。