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『魂の紀行』 別章 キョウヨアケタゼヨ-12

 
< ヒーリングから離れた20年間 その1 >
 

明けても暮れても
ヒーリング三昧だった高校時代。
 

卒業後は、
専門学校に通いながら
ヒーラーとして生計を立てていました。
 

高校時代と同様、
日中は学校、
夕方は相談者への対応、
夜は電話によるヒーリング。
 

喜んでもらえることが、
何より嬉しかったんです。
 

ただ、当時は
「どうして良くなるのか?」
ということにも関心があって、

ヒーリングのメカニズムを
知りたいという氣持ちも
大きくなる一方でした。
 

師匠のI先生が
あまり好きではなかった
「理屈や理論による説明」です。
 
 

また同じ頃
「悩みごとは、氣づきの機会」
ということも
感じ始めていました。
 

「もしかしたら、
 表面に現れている様々な悩みは、

 その人にとって
 たいせつな学びや
 氣づきの機会なのかもしれない・・・

 ヒーリングは、
 その機会の妨げに
 ならないのだろうか?」
 
 

そこで、思い切って
「ヒーリング」という世界から
距離を置いてみることにしました。
 

とは言え、
生活もありますので
仕事は続けなくてはなりません。
 

ショッピングモールの
バック専門店店員、

燃料省エネ装置の販売員、

心理学教室の助手、

クレジットカード勧誘員

などなど・・・。
 

好奇心も手伝って、
少しアヤしげな職種も含め(笑)
いろいろな仕事を
経験させてもらいました。
 
 

そんな生活が
1年ほど続いたある日、

ふとI先生のことが氣になって
東京の事務所を
アポ無しで訪ねました。
 
 

しかし、何だかいつもと
雰囲気が違います。
 

秘書の方も
何だか元氣がありません。
 
 

「・・・じつは昨日、
 I先生が亡くなったんです」
 
 

えーっ!

ついひと月前も、
あんなに元氣で
講演をしていたのに・・・
 

何となく氣になったのは、
I先生からの
「旅立ち」のお知らせだったんだ・・・
 
 

出会いからの出来事や、
教えていただいたことの数々が、
次から次へと想い出され、

あらためて
感謝の氣持ちで
いっぱいになりました。
 
 

その日の夜、I先生の郷里の
佐賀県で行われた密葬。
 

久しぶりに会うI先生は、
とても小さく見えました。
 

いや、もともと
小柄だった先生が、

エネルギーの放つオーラで
とても大きく感じていた、

と言った方が
正しい表現なのかもしれません。
 
 

「この力を授かった時から、
 私のからだは、もう
 私のものではないのです」
 
 

生前の言葉どおり、
エネルギーを授かってから
20年近く、

休む間もなく
世界各地を奔走し、

たくさんの方の幸せを
願い続けてきたI先生は、
平成5年に天へと還られました。
 
 

翌日、佐賀空港へ
向かうバス停で、

隣に座っていた男性から
声をかけられました。
 
 

「今、何時ですか?」
 

「3時ちょっと前です」
 

「ありがとうございます。
 何とか、
 飛行機に間に合いそうだな」
 

「どちらにいらっしゃるんですか?」
 

「東京に戻ります。
 昨夜、親しい方のお通夜が
 あってこちらに来ていたんです」
 

「あ、私もそうなんですよ。
 ・・・もしかして、
 I先生のお通夜ですか?」
 

「えっ、あなたもですか?
 それは何かのご縁ですね。
 空港までご一緒しましょう」
 
 

こうして出会ったのが、
医師のY先生。
 

I先生のヒーリングを、
医学的な立場から研究、
協力していたのだそうです。
 

飛行機でも隣同士になった
Y先生とは、2まわりほど
歳が違うのにすっかり意気投合。
 

I先生の粋な計らいで
繋がったご縁は、

その後、思わぬ方向へ
展開していくことになるのですが

続きは、また来週・・・
 
 
 

〜 鳴海周平の
 ヒーリングについて 〜

現在、個人的な相談や
ヒーリングは行っていませんが、

各地で開催しているお話会では
皆さんへ「一斉ヒーリング」を
させていただいています。

どうぞお気軽に
遊びにいらしてくださいませ(^_^)
 
 
 

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