『魂の紀行』序章−2 北海道富良野市にて
2012年8月28日。
下鴨神社で一緒に誓いを立てたAさんと私は、北海道・富良野にいました。
そこで思いがけず現地の人たちから、あの開祖さんの名前が出てきたのです。
「ここには○○さん(その開祖さん)という方が、
とてもたいせつな場所だ、と言っていた山があるんですよ。」
翌朝、私たちは予定を急遽変更して、開祖さんゆかりの地へと向かいました。
目の前には、標高1,700メートルを超える大きな山がそびえ立ち、
そこから漂ってくる「氣」が、心身に染み入るようにじわじわと浸透していきます。
それは、まるで何かをインストールしているようでもありました。
「地球上の存在は「地の氣」の媒介をしているのではないだろうか?」
こうした場所を訪れるたびに、私はそう感じることがあります。
ミツバチが花粉を媒介することによって結実の手伝いをしているように、
私たちもまた「場の氣」を繋いで歩くことで、
地球の進化という結実の一端を担っているのではないか?
地球という3次元の世界において、
肉体を通して各地の「氣」を繋いで歩くことは、
私たちの魂にとっても、大きな学びとなっているように思うのです。
2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生によると、
人間は地球の大地にある108の元素のうち、
じつに92個をいただいて生まれてきているのだそうです。
「母なる大地」という言葉のとおり、
私たちのからだが地球の分身とも言える存在なのであれば、
からだを構成している元素が、地球の発する「氣(エネルギー)」を蓄えたり、
放出したりできるのは、何も不自然なことではないでしょう。
場所によって異なる「氣」は、媒介となる私たちにも、
たいせつな「氣づき」を与えてくれているのです。
追記
そういえば、富良野で私、車に轢かれたんです。
と言っても、右足の甲に10秒間ほどタイヤが乗っかっていた程度なのでご心配なく。
・・・それにしても、まったくの無傷ってちょっとスゴくないですか?
2~3時間、感覚は鈍くなっていましたが、夜にはすっかり回復。
けっきょく病院にも行っていません。
そして、同じ日の朝。
自宅では、毎朝聴いている私の瞑想用CDが自動的にかかり出す、という珍事が。
(私は富良野への出張中で留守だったので、家族は目がテンになったそうです)
どちらの珍事も意味がよくわかりませんが(笑)、いちおう書き記しておきますね。