2015年12月18日 第5章 出羽三山での御神事, 『魂の紀行』
2014年9月9日。
朝いちばんで向かったのは、出羽三山のひとつ・月山。
標高1984メートル、高山植物の宝庫でもあります。


月山には、こんなお話が伝わっています。
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ある夜、皇子が眠っていると、
夢に羽黒山の神が観音様となって現れました。
そして、
「あなたはきびしい修行を続け、
多くの民を苦しみから救っています。
これからも人々を導きなさい」
と告げると、八咫烏(やたがらす)に姿を変えて、
雪に覆われた白く輝く大きな山へ飛んでいきました。
夢から覚めた皇子は雪解けを待ち、
その山の頂を目指して登り始めました。
いばらをかき分けながら入っていくと、
草原が広がり、
さらに登ると残雪と岩だらけの景色になります。
ようやく頂上にたどり着いた皇子が辺りを見渡すと、
次第に周囲が金色に輝き始めました。
まるで喜びに満ちた極楽浄土のような世界です。
すると、亡くなったすべての人をあの世へ導くという
阿弥陀様が目の前に現れました。
「ここは夜と死後の世界をつかさどる
月の神がいらっしゃるところだ」
そう悟った皇子は
この山を「月山(つきのやま)」と名付け、
後にお堂を建てて
「暮礼山(ぼれいざん)月山寺(がっさんじ)」
と呼びました。
『はちこの皇子 物語り』より
(おもてなし観光ガイドブック)
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山頂に月読命(つきよみのみこと)を祀る月山には、
このような物語が伝えられていたんですね。


8合目の御田ヶ原(みだがはら)にある
月山中之宮でエネルギーの交流をしていると、
次のようなビジョンが浮かんできました。
五芒星 → 六芒星 → 八芒星
「五芒星と六芒星が融合すると、八芒星になる」
これは、これまでのさまざまな祈りの場面であらわれていた
ビジョンですが、月山では、次のメッセージも伴いました。
「アースヒーリングの完了は、八芒星がサインとなる」
ヒーリングの要領で、
大地のエネルギー調整をイメージしながら
おこなってきた「アースヒーリング」。
完了のサインは、これまで
「明るくなった」「軽くなった」
という「感覚」を目安にしていました。
その「感覚」の中で
五芒星や六芒星、八芒星があらわれていたのですが、
八芒星そのものを「アースヒーリング完了のサイン」
と捉えることができると、目安がより明確になります。
「八芒星があらわれるまで
アースヒーリングをおこなう」
これからもさまざまな場所でおこなうであろう
アースヒーリングは、ここ出羽三山の月山で、
こうして新たな氣づきをいただいたのでした。
蜂子皇子の半ば強引な「お導き」によって始まった
今回の、出羽三山への「魂の紀行」(笑)
なんだか、とても氣づきの多い旅になりそうです。
2015年12月11日 第5章 出羽三山での御神事, 『魂の紀行』
2014年9月8日。
羽黒山頂までの参道が始まる「随神門」から、
いよいよ1.8㎞先の三神合祭殿へ向けて出発。
樹齢300~500年という杉の巨木が立ち並ぶ参道では、
たくさんのエネルギー体の存在が感じられます。
かつてこの地で修行に明け暮れた人々の想念帯と
もともとこの「場」が放っていたエネルギーとが融合し、
独自のフィールドが形成されているようです。


随神門から石段を上ること約40分。
山頂にある「蜂子神社」に到着しました。
思えば、正月明けからの、半ば強引な導かれ方(笑)・・・
(第5章 出羽三山でのご神事-1)
御宮に祀ってある「蜂子皇子御尊像」が
初の一般開扉ということもあり、
山頂はたくさんの参拝者で賑わっていました。
ようやくご対面がかなった蜂子皇子像の前で
エネルギー交流をしながら祈りを捧げていると、
きれいな五芒星がビジョンにあらわれました。
そして、次にあらわれたのが六芒星。
数時間前に訪れた高寺山照光寺でのビジョンと同じです。
(第5章 出羽三山でのご神事-2)
ここでも、感じたことは
「五芒星と六芒星の融合・統合・調和」。
「陰」と「陽」など、二極に分かれていたものが和合し、
「新しい時代」が幕を開けることは
どうやら蜂子皇子の時代(もっと前?)から
「このタイミング」と決められていたようです。
宇宙規模の壮大なスケールの中で
自らの立てたシナリオどおりに『魂の紀行』を続けている私たちは、
いま、まさに数千年(数万年?)に一度というくらいの
大きな時代の節目に立ち会っているのかもしれません。


三社合祭殿と鏡池でもエネルギーの交流をさせていただきながら、
この度のありがたいお導きに、あらためて感謝の意を捧げました。
2015年12月4日 第5章 出羽三山での御神事, 『魂の紀行』
2014年9月8日。
山形庄内空港からレンタカーで向かった先は、
蜂子皇子がいちばん初めに辿り着いたという由良海岸。

「由良」という名前は、日本三景の天橋立がある
京都府宮津市の「由良」が由来と云われています。
蜂子皇子の生誕は、今から1400年ほど前。
崇峻天皇の皇子として、奈良で生まれ、
本来なら、継承者の地位にあるはずでしたが、
蘇我氏と物部氏の2大豪族が対立したことで状況は一変。
父の崇峻天皇が蘇我氏によって暗殺され、
その追っ手は、皇子にも迫ってきます。
「全国をまわったときに、
地面から観音様がわき出た霊山が
出羽の地にあります。
そこへ向かってはどうでしょう?」
従兄弟(いとこ)の聖徳太子に、
奈良から避難することを勧められた皇子は、
厳しい冬の寒さの中、
丹後の由良から出羽の地へ向けて旅立ちます。
そして、越前(福井県)、越後(新潟県)、
佐渡ヶ島を経て、辿り着いたのが、この由良海岸。
「由良」という名前は、
こうして、かつて西から移り住んで来た人たちが、
故郷を懐かしんでつけた名前なのかもしれませんね。
この地でのお祈りで感じたのは、
今回の旅にあたっての
蜂子皇子による「お導き」の強さ。
いつものように
さまざまなマークがあらわれては消えていきましたが、
蜂子皇子のエネルギーだけは
終始ご一緒いただいているようでした。
どうやら、健康食品(蜂っ子)の名前が似ている、
というだけのご縁ではなさそうです(笑)
導かれるまま、次に向かった先は「高寺山照光寺」。
皇子が酒田の海に浮かんでいた
「光る桑の大木」からつくったという
千手観音、十一面観音、軍荼利明王の三尊を祀る古刹です。

皇子自らが彫ったとされる「蜂子皇子像」の前で
しばしエネルギーの交流。
今生でもこうしてご縁をいただけたことに、
あらためて感謝の氣持ちが湧いてきます。

ビジョンの中にあらわれたのは、五芒星(☆)。
そして、ゆっくりと六芒星へ変わり、
スーッと消えていきました。
神仏習合の宗教集落として栄えたこの地域。
その中心である高寺山照光寺であらわれた2つのマークは、
一連の「祈りの旅」のテーマである「融合・統合・調和」を
「陰陽の和合」というサインで示してくれたのだと思います。
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